里山暮らしの始まり・・・、なぜ田舎暮らしと言わないのか?田舎暮らしというと、最近はやりの団塊の世代がどうこうだの、田舎暮らしはこんなに生活費が安上がりでなんでもタダで貰える!みたいなテレビ番組だの、大げさなログハウスに住みたいだの、僕としてはちょっとなんだか受け入れがたいものがある。
中山間部の農村での暮らし、そこは生産の場であり、様々なものが自然から生み出される。それが里山。質素でシンプルな毎日の生活。お金を出せばなんでも買えるけど、できる限りは自分たちの手で作りたい。そんな暮らしがしてみたい。
以前からアウトドアは大好きだった。学生時代はオフロードバイクで東北の野山を駆けめぐり、テントに寝袋、ストーヴを積んで日本全国をまわった。観光が目的ではない。自然の中に身をゆだね一体となってテントで眠るため。野山が大好きだった。漠然と田舎暮らしへの憧れはあった。しかし就職してからはそんなことはとうに忘れ毎日の多忙な仕事に追われるだけ。
それが、1年前、娘が生まれたことをきっかけに変わった。なりを潜めていたものがまたむくむくと頭を持ち上げてきた。子供がいる環境には緑があった方がいい、と思った。折りに新聞記事で窓際にツルものの植物を育て「緑のカーテン」で部屋の気温を下げる、と言う記事を目にした。訳もわからず、そのツルものの種を買ってきた。ゴールデンウィークのこと。
ゴーヤー、朝顔、ひょうたん、ヘチマ。どうやって思いついたのか、冷蔵庫の上の吹き出し口で暖めて発芽、たった8リットルの小さなプランターに無謀にも3株ずつ定植・・・。当然、根っこはギュウギュウ詰め、キュウリは次々とうどん粉病になりまともに収穫もできず、ひょうたんにはアブラムシが大量にたかり、ヘチマはツルばかりが伸びて花も咲かない実もならない、ゴーヤーは何とかいくつかは収穫できたが、やたらツルの整理に気を遣い時間の浪費・・・。それらの失敗の意味もわからなかった。
それから数十冊の園芸書を読みあさり、様々な試みをし、半年後の11月からは10坪の市民菜園を借りることになった。菜園には50区画ほどあったが、園内最年少(!)ということで周りの年長者がいろいろ面倒をみてくれて、トマトにナス、スイカなどはもちろん、陸稲、ソバの栽培にも極小面積で試しに取り組んでいる。
そして植物いっぱいでギュウギュウ詰めになっている猫の額ほどの庭・ベランダ・畑の次に目指すものは自給自足の田舎暮らし。夢に描くのは広い敷地に山小屋風のシンプルな住居、薪ストーブ、太陽光発電、自給菜園に果樹園、落ち葉が集められる落葉雑木林、犬を飼って、鶏やできれば山羊も飼いたい、それらの糞で堆肥を作る、スローライフやロハスなんて言葉は使いたくないけれど、自然に逆らわない、エネルギーの循環を取り入れたそんな生活である。
まずは仮住まい探しから、まもなくスタート。
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